12月12日(木)
■仏教閑話 その2■
■仏教閑話 その2■
久しぶりに禅仏教のお話を。

その昔、中国でのお話。
馬祖(ばそ)という坊さんがいた。もちろん本物の悟りを開いている。その馬祖に、弟子の大梅(だいばい)が尋ねた。
「仏とは何ですか」
この場合の仏とは、悟りのこと。
「心そのものが仏だ」
馬祖は答えた。
即心即仏。禅のスローガンにもなった有名な言葉がここで発せられた。
ずばりその心そのものが、仏であり、道であり、悟りである、と。
後に、大梅が大梅山で修行をしていたとき、ある僧が彼に尋ねた。「あなたはこんな山中でどんな禅を行じているのですか。」
大梅、「即心即仏」
そこで、その僧は言った。
「馬祖大師も昔はそのように言っていましたが、このごろは違います。」
それを聞くと大梅は、言った。
「どういっているんだ?」
「はい、もっぱら、『非心非仏』といわれます」
それを聞くと、大梅は、言った。
「おやじは、まだそんなことを言って人をだましておるのか。たとえおやじさんがなんと言おうと、俺はただ『即心即仏』だ。」

その僧が、帰って馬祖大師にそのことを報告した。すると、馬祖は言った、
「梅の実は、みごとに熟したな。」
つまり、大梅も本物になったな、と彼の修行と悟りを評価したのだ。

いい話だなあ。
禅は、こだわることを極端に嫌う。それこそが悟りの対極にあるからだ。だから、自分の言葉にさえこだわらない。言葉に振り回されないといったほうがピンとくるだろうか。まことに、自由の境地に生きているんだよね。
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