| 2003年1月15日(水) |
| ■仏教閑話-その3(禅問答編)■ ■仏教閑話-その3(禅問答編)■ 弟子が師匠に問うた。 「どうやったら、私は、この私の心を解放できるのですか。」 「ばかもん、誰がお前を縛っておるのだ。」 弟子が師匠に問うた。 「私は、どこから悟りの道に入っていけばよろしいのでしょうか。」 「お前には、あの小川のせせらぎが聞こえるか?」 「はい」 「そこから入っていくがよい。」 弟子が師匠に哀願した。 「どうか、私の心を落ち着かせてください。私の心の中は、煩悩の嵐が吹き荒れているのです。」 「分かった。落ち着かせてあげよう。では、その心とやらを見せてごらん。」 「見せられません。」 「お前の心を落ち着かせてあげたぞ。」 そのとき、弟子は、大悟した。 弟子が師匠に問うた。 「私は悟りました。もう心の中は晴れ晴れと澄みわたっております。こんな心境でよろしいでしょうか?」 「捨ててしまえ。」 「捨てるものなどありませんが・・・」 「そんなに捨てたくないなら、大事に持っていけばよい。」 弟子が師匠に問うた。 「悟りの本質とは何ですか?」 「くそかきべらだ。」 禅の語録には、たくさんの問答が載っているが、読んでいてとにかく面白い。なんのこっちゃと言う感じかもしれないが、気にしなくてもいい。なにしろ、言葉にこだわらない連中の会話だから、言葉にこだわっていると、その内容を理解できないのだ。 でも、人間は言葉を使って意思伝達する。だから、連中は、その言葉にとらわれずに、言葉に振り回されずに、逆にその言葉を自由自在に使って、弟子を悟りへと導くのだ。 実際に、そんな師匠のおかげで、たくさんの弟子が悟りを開いていった。その弟子たちが師匠となりまた弟子を教化していく。法灯はこうして脈々と継がれていったのだ。 こんな風に生きていた人がかつて、中国にも日本にもたくさんいたという事実がすごいなあ。そんな人に実際に会ってみれば、その人間のスケールの違いに、間違いなく僕らは強烈なショックを受けるだろう。 |
| バックナンバー |